私たち日本人にとって、達磨という名前はおなじみですね。
家庭や店舗に置かれた丸々とした体つきの達磨像は、商売繁盛や家内安全の守り神として、身近な存在です。
しかし、この達磨という人物は、実は禅宗の開祖であり、悟りへの深い教えを説いた高僧なのです。
時は6世紀、その時代のインドで生まれた達磨(法名:菩提達磨)は、
ブッダの教えを究め尽くした後、中国に渡りました。
そして、長い旅の末に南京の少林寺に辿り着きます。
ここで達磨は、九年の間、壁に面して黙坐の修行に入りました。
この「壁観」の逸話は有名です。
弟子たちは、ただ黙して坐っているだけの達磨の修行に疑問を抱きました。
しかし達磨は、言語や文字に頼らず、直接心髄から心髄へと悟りを伝える「面壁」の重要性を説きました。
これが、のちの禅宗につながる重要な教えとなったのです。
そう、達磨が説いたのは、形式的な修行ではなく、日常的で直接的な悟りの実践でした。
今日、私たちが親しむ達磨像の、無表情でありながらも穏やかな顔つきは、
まさにその“無心”の境地を表しているのかもしれません。
達磨(ダルマ)と禅仏教の伝来
達磨は、インドの高僧で、中国に渡り禅仏教を伝えたことで知られる人物です。
その生涯と禅仏教の伝来について、ここで振り返ってみましょう。
達磨の生涯
達磨(たるまつ、470年頃~528年頃)の本名は菩提達磨で、南インドの王族の出身とされています。
青年期に出家し、その後インドを離れ、中国に渡りました。
中国に渡った達磨は、当時の武則天期の525年頃、南京にある菩提寺を訪れました。
そこで、当時の門徒に対し「わが心にして無相の境地があり、これはただ人になす」と説き、
直接心髄を伝えることを説いたと言われています。
これが「壁観」の有名な逸話の由来です。
その後も諸国を巡り、禅法を広めました。
達磨の教えは、後の臨済宗や曹洞宗など、中国の禅宗の源流となりました。
達磨による禅仏教の伝来
達磨は、小乗仏教が主流だったインドで大乗仏教を学び、
さらにその精神を発展させた禅の思想を確立しました。
そして中国に渡り、心の修行を説いた禅仏教を広めました。
達磨以前は、儀礼や経典の読誦が中心の仏教が中国にあり、
禅宗の直接的な心の修行は知られていませんでした。
禅は、観念を離れ、直接的に悟りを求める修行法で、達磨によりその思想と方法が伝えられました。
達磨とその後継者たちにより、禅仏教は中国で栄え、さらに日本にも伝わりました。
禅は、日本の武士道や文化、芸術にも大きな影響を与えています。
今日でも、世界中で禅の思想や修行法が実践されています。
このように、インドの僧侶達磨が中国に渡り禅の思想を説いたことで、
東アジア全体に禅仏教が広まったのです。
達磨は、直接的な悟りの実践と心の修行を説いた、極めて重要な人物だったと言えるでしょう。
現代日本でも親しまれる達磨
置物としての達磨
もっとも有名なのは、置物としての達磨です。
ふくらんだ頭と無表情な顔、小さな体が特徴的で、商売繫盛や家内安全を願って家庭や店舗に置かれています。
転んでも起き上がれる形状から、七転八起の精神を表し、
逆境に負けずに立ち向かう決意の象徴とされています。
また、転がって戻ってくる姿から「出世する」という意味も込められています。
達磨置物にはお腹が描かれており、眉や目、そしてお腹に順番に金箔を貼り、願い事が叶うと信じられています。
工場や新築家屋の地鎮祭にも使われ、商売繁盛や家内安全の守り神として広く親しまれています。
禅の象徴
一方で、達磨は禅宗の開祖として、禅の精神的な象徴としても尊重されています。
坐禅の際に目の前に置かれる掛け軸の像があり、参禅者の手本とされています。
また、テレビ番組の「ダーウィンが来た」で有名な野生動物レポーターの達磨一件は、法名から「達磨」を名乗っています。
野生の自然の中での修行に通じる「無住の旅」の精神を体現する人物です。
このように、達磨は商売運と家内安全の象徴であると同時に、
禅の教えと精神性の源泉としても、日本人に広く親しまれている存在なのです。
禅宗における達磨の顔の意味
達磨の顔つきは、非常に特徴的で、その意味するところも深いものがあります。
達磨の顔は、大きな丸い髷(たむし)と、ひっそりとした無表情の顔立ちが特徴です。
この顔つきには、禅宗の教えが表れています。
大きな髷は、世俗的な煩悩から離れた、円満な悟りの境地を象徴しています。
禅宗では頭を丸めることで、附着物を排除し、清浄な心を保つことができるとされます。
一方、無表情の顔立ちは、達磨が説いた「不立文字」の教えを表しています。
文字に執着せず、言語を離れて直接的に真理を悟ることを説いた達磨の思想が現れています。
感情を離れた無心の状態を顔に表しているのです。
日本における達磨像の特徴
日本の達磨像は、インド・中国とは異なる特徴があり、
丸々とした短い体つき、富っちょろいお腹が特徴です。
このお腹は、安産・子育ての願いを込めてふくらませられたと言われています。
無表情な顔つきとはおどけた体つきのコントラストは、
禅の深遠な教えと庶民の親しみやすさを兼ね備えた存在であることを表しているのかもしれません。
このように、達磨の特徴的な顔つきには、禅宗の教えと、
日本人の民間信仰が融合した、深い意味が込められているのです。
まとめ
達磨は単なる商売繁盛の守り神ではありません。
悟りへの深い教えを説き、禅宗の源流となった偉大な高僧なのです。
日本に伝わった達磨像は、丸々とした可愛らしい体つきで親しまれていますが、
その根本には言語を離れた直接的な悟りの実践という、達磨の深い思想が込められています。
無表情でありながら、どこか穏やかな達磨の顔を見つめると、
煩わしい言葉や執着を離れ、己が本来の心の在り方に気づかされます。
日常の雑踏から離れ、凝り固まった心を解きほぐし、本来の自由な心に立ち返る。
それこそが達磨が説いた禅の道なのかもしれません。
現代社会の中で、私たちはしばしば言葉や観念、価値観にとらわれがちです。
そんな時こそ、達磨の教えに立ち返り、無心で自由な心の在り方を思い起こすべきなのです。
達磨の姿を見る度に、その深い精神性を感じ取り、
心の自由を思い起こしてみてはいかがでしょうか。